Mar 5th, 2008

fear

3月3日、伯母が亡くなった。

朝、起きたら母からのメールが来ていた。午前3時に亡くなった、今家に帰る途中だと書かれていた。受信は朝6時過ぎ。
突然のことで意味が分からず、とりあえず後回しにして朝ご飯を食べ、母に電話した。

前日、2日のお昼前、ひとりで車を運転していた伯母は、胸の痛みを感じ車を脇に寄せ停車した。手を振り、後続の車に救急車を呼んでもらい、救急車からは救急隊員の携帯を借りて、彼女の長男であるいとこに事情を説明したそうだ。
その後、手術となったが、結果帰らぬひととなった。
手術室に入る時に一瞬目を開けたそうだ。悟っていたのかも知れない。
気丈で賢く、個人商店の社長夫人として取り仕切っていた伯母らしい最期だったと思う。

そして、「解離性大動脈瘤って、石原裕次郎と同じでね…」と、泣きながらそういう説明の仕方をする我が母親も、また、彼女らしいとぼんやり思っていた。

連絡が来てから、未だに電話越しでしか知らないでいる。
そのせいか、まだ言葉でしか理解出来ていない。
伯母がいなくなってしまったということは悲しいし、ご無沙汰してしまっていたままだった後悔もある。だけど、悲しみに沈みたくない。悲しみに沈むというのは、故人に対しての想いよりももっと自己的な感傷が強いような気がしてしまう。
今晩、通夜が行われる。
今と同じ、冷静な自分でいられるか。怖い。

by nao :: 12:01 :: diary, family archive

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