Mar 6th, 2008

通夜

母には4人の姉妹がいた。
一番上の姉はまだ幼いうちに亡くなった。
一番下の妹は2人目の義母の連れ子。長いこと離れて暮らしており、それ以上に心が離れていた。彼女は2年くらい前に亡くなった。

今回、すぐ上の姉が亡くなり、母には母親の違う妹がひとり残った。
この叔母は物静かで控えめな優しいひとで、埼玉に住んでいる。彼女の母親は彼女を産んですぐに亡くなり、彼女は伯母のもとで育てられた。母と伯母はよく一緒に遊んだけれど、年頃になるまで姉妹であることは知らなかったそうだ。

伯母の通夜はセレモニーホールで行われた。
私は叔母と並んで座っていた。そして時々叔母と話をした。
叔母と会ったのは私が中学生の時以来だったけれど、声も喋り方も、心地よく馴染んだ。
彼女の言葉は時々芸術家のように感じられる。柔らかな、あたたかみのある声で、時々少しだけ独特の視点で話すのだ。あまりに自然に控えめに言葉にするので、何がどう独特なのか、うまく説明出来ないけれど、明らかにそれが彼女だけの言葉であることだけは感じられた。

「お姉さんの顔を見たらね、私もあちらに行ってもいいかしらって思ったわ」そう言われてドキリとした。
死は恐怖の対象で、遠く離れたものだったけれど、立ち止まらず、前だけを見て進んでいったお姉さんがそちらにいるのなら自分も安心してあちらに行ける気がする。お姉さんが橋渡しをしてくれる。そんな話だった。

確かに伯母はいつも何かをしていた。
個人商店の社長夫人として。子供3人と舅姑。子供の教育には熱心だったし、自分も学ぶことを忘れなかった。ホストファミリーになったり、長い間英会話を勉強していた。最近ではお茶に着物、イタリア語。母が先週伯母と話したときも、仕立てに出している着物がもうじき出来上がってくると話していたそうだ。
私はもちろん、妹である母や叔母ですらも彼女がくよくよしたり、悩んでいる姿を見たことがなかった。ひとが何か困っていれば「こうすればいいじゃない」「ほら、こうしなさいよ」と解決策を考え出すひとだった。

いつも何かに手を付けていたから、やり残したことはたくさんあると思う。
でも、叔母と話していて、長患いで先細りで人生を終えるよりもずっと伯母らしい最期だったのだと理解出来た。

いい通夜だったと思う。

by nao :: 00:36 :: diary, family archive

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