May 1st, 2009

funerales

090430_1448_0001先週の日曜日に祖母が亡くなった。
享年97歳、充分じゃないかと思うのは血がつながってないからかも知れない。

仕事のシフトを変更して、昨日葬儀に出席した。
一昨日の夜には前夜式があったが、母はどちらかに出れればいいと言うので、葬儀のほうを選んだ。

祖母はプロテスタント。
あたしは洗礼こそしていないけれど、根底にキリスト教を持っているのはそういえば祖母の影響だった。幼稚園の頃、祖母からもらったキリストの生涯の絵本を繰り返し読んだことを覚えている。
葬儀は彼女が通った教会で。
この教会で6年前には彼女の実娘の葬儀も行われた。

祖母は母の義理の母親だった。
母の本当の母親は、母が小さい時に亡くなった。その後、祖父は再婚し、新しい母親が出来たが彼女もまた早くに亡くなり、その後に再婚した相手が今回亡くなった祖母だった。
祖母は母の小学校の教員で亡夫との間に娘が一人いた。娘3人を抱えた祖父とはお互いの子供の養育のために結婚したと聞いている。

葬儀では、牧師が祖母の経歴を語ったが、6年前に亡くなった実娘の話は繰り返されても、昨年亡くなった義理の娘(母の実姉)の名前は一度も出て来なかった。
祖母の娘一家は、以前北九州に住んでいたが、十数年に静岡に戻ってきた。初めて会ったあたしの従妹を母はいい子そうだと言っていたが、あたしは素直には頷けなかった。

それでも、初めて参列したプロテスタントの葬儀は、商業的な葬儀とは異なり、心が休まるものだった。故人が愛した聖句を唱え、賛美歌を歌い、牧師の説教を聴く。確かに、故人が共に存在していると思える葬儀だった。

あたしが小さかった頃、とりわけ祖父が亡くなってからは祖母は”大事な、大好きなおばあちゃん”だった。
高校生くらいになって、血のつながりがなかったこと、母がまだ学生だった頃の祖母の話を聞き、裏切られたように感じ、祖母への愛情は亡くなった祖父へ全て移り変わった。

それから20年経っても、祖母が実娘に引き取られてからあまり幸せでないことを聞いても、母はすっかり年老いた祖母を許していることを知っても、以前のような愛情を感じることは出来ないまま終わってしまった。
牧師の口から語られる、彼女の物語を聞いても、受け入れられない何かがあたしの外側に滓のように残っている気がした。

そうだ、まるで他人事みたいだったのだ。
1日経っただけなのに、すっかり記憶が透けて漂っているようだ。
小学生の頃見た、祖父の亡骸に泣き縋る母の姿を今でもまだ鮮明に思い出せるのに。

by nao :: 17:48 :: family archive

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