Aug 25th, 2005

人生バトン

いつの日か某SNSでまわってきた“人生バトン”。
あちらの日記で書いたんだけど、思った以上に長文になったので(いつものことだけど/笑)あたしの個人的な記録としてこっちにも置いておこうかなってなわけでアップ。
実はこれの前に昨日書いたのがあったんだけど、エラーでぶっとんだのでまた今日書き直したのです。昨日書いたのとまたすこし違う話になってたり。ちうことはこれ、半年後だったらまた違うこと書いてるあたしがいるだろーと思うとこんなだらだら長文も愛しいものに(笑)。
ついでに昨日の反省を生かして(そして某SNSのタグ挿入機能は使いものにならないので)mtの編集画面で文章書いてたということもあったりしてただここの文章変えてそのままアップしてるんだったりすることは内緒です。おほほ。

1.これまで送ってきた人生の感想、所見。
そうさね、これは前々から友だちとよく言ってるんだけど、ずばりひと言、
“まわり道人生”
自嘲と肯定の気持ちをこめて。
うちの職場のひとで、役席代理なんだけど役席代理というよりもただの田舎のおっちゃん(GWのイベントは実家で茶摘み。今日は精査印押しながら居眠りしてたというウワサ…。静岡っこの預金はこの人の手で守られてます/笑)なひとがいるんだけど、のんびりというかぼんやりというか…あたしはスキなんだけどね、その人にも先日「あんたの人生は道草ばっかりだろー?」と言われましたですよ。そんなに語ってないはずなんですけどね、滲んでるみたいです。そして見抜いた彼を軽く尊敬してみたり(笑)。
まわり道も道草も無駄だけど無駄じゃないよぅ。電車の窓からは見えない角度で風景を眺めるひとがいるってのも大事じゃない?
ふらふらあちこち寄り道して歩いてるからあっちこっちにいろんなもの落っことしていっぱいなくしものもしたけれど、きれいな小石とかガラス玉とか拾ってみたり(金にならんけどな!/笑)たまにうんこ踏んずけちゃってみたり(笑)、道を選んでるのは自分自身だから、自分ってばかだなぁとは思っても暗い愚痴は言わずに済んでる。

2.よい人生か。
イエス。
なんだかんだ言っても日本というとりあえず戦争のない国で文字を読み書きできていろんな本を自由に読める環境に産まれたこと自体感謝すべきなのだと思う。“生きる”ということが1日の目標なものすごくものすごくたくさんのひとびと(その原因は貧しい土地であったり、戦争であったり、HIVに始まる種々の病気であったり)を思ったとき、その稀な幸運に感謝せざるを得ないと思うから。
そして上を見たらきりがないけれど、もし上を見たとしてもそれと同じものがあたしに与えられたとして果たしてあたしはそれでシアワセになるのか?ってゆったらそうとも言えないだろうし。
小さいシアワセで満足できる人生はよい人生なんだろうと思うさ。

3.これからどんな人生を送りたいか、抱負は。
オリジナルであること、
粋であること(でもばかやって楽しむ切り替えが出来る)、
うつくしいものを求めること、
それらが歳を取るごとに力を増してゆけばかっこいいなぁと望みますです。

具体的などうとかこうとかそうゆうのはあまり考えにないのよね。
結婚とかも、したくなればするだろうし、もしかしたら一生したいと思うことはないかもしれないし、人生の目標にはならない。ただ、逆にそうゆうひとが現れたらあたしの人生はなによりもそのひとをシアワセにすることが目標になるかもね。さてね。

4.人は何のために存在しているか。
何のために。そうね、意味はあるのかないのか…イメージとしては“ボードゲームの駒”。駒だからプレーヤーの意志なんて分からないです。でもだからといって何もしないでマスを進めるかってゆったらそんなことはないわけで。
なんとなくね、人びとを高いところから俯瞰で見たときにそれぞれがそれぞれの方向へばらばらと向かう姿とか見てたのを思い出すとこの質問のように人がひとつの目的のために存在してるとは思えないのよね。
前に読んだ小川洋子の“六角形の小部屋”(ってタイトルでよかったかな?)で主人公が運命について独白してるのがこの駒のイメージにすごくはまってて、あまりにもシンプルにさらりとそんな内容を書いてしまえる小川洋子のことを大好きになったのでした。
比較的近視眼的に見るとこんな感じ。
そしてもっと遠くから見てみると、ひとは全部同じで、中身もそれぞれはオリジナルと思ってるかもしれないけれど実はみんな同じで、つながってて、そして人類ぜんぶひとかたまり自体ちっぽけなもので、これらが地球で何しようが顕微鏡でなにやらモゴモゴ動いてる生物を見るのとたいして変わらない、そんな存在でしかないんじゃないかと。ほれ、もし、ボルボックスの緑のつぶつぶひとつひとつがオリジナルを主張したとしても「いや、ぜんぶまとめてボルボックスだから」って思うでしょ?そんなもん。違うか。まぁ雰囲気で察してね。そーやって思ってると政治家が何しててもある程度は「あーばかだなぁー」で済むような気がします(自分に影響がない場合は)。

5.人生とは○○だ。
“自己満足”
ええ、そのひと言で終わっちまいますね。みもふたもありゃしませんよ、すみません。
死ぬときに+の気持ちで死ねればその人生はいい人生だったって言えると思うのですよ。たとえ他の人の目にはミゼラブルだったとしてもね。
んでもあたしとしては他の人にも「あいつは楽しそうだった」と思われておきたいので、東海大地震が来たときにあっさり死んじゃったとしても冷蔵庫のなかのフィルム発見されて「故人は趣味の写真をもっと楽しみたかっただろう。冷蔵庫の中にはこれからの撮影に備えて大量のフィルムが…」なんて悲劇ネタにされないようにあまりフィルムを溜め込むのはやめようと心がけている次第でございます。
どうでもいいですが東海大地震がきたときに生き抜こうとする気力が湧いてくれるかどうか怪しいものです。自分でさっぱり想像つきません。自分の部屋で死んでる死に方についてはいろいろと想像出来るのに…。
自分が死ぬことよりも大事な周りの人間が死んでしまうことを想像するほうが耐えられないです。

ああ、そういえば高校生の頃、よくいろいろなこと考えながら通学してたんだけど(チャリ通30分。友だちと一緒だったんだけど縦1列で黙々とチャリ漕いでたので/笑)、そのときに考えてたことのひとつ。
人生は死なないという選択の連続だってゆうこと。勝手に繰り返される呼吸ひとつにしたってね。体が生きるという選択をしてると考えるわけさ。
人間の体はすばらしいポジティブな存在である。と(笑)。

6.次に考えを聞きたい人
そりゃね、これ読んじゃったすべてのひとに。と言いたいですわよ(笑)。ひとそれぞれ違うと思うしさ。
んでもまぁきっと面倒だと感じるひともいるだろうし、もすこし狭めて「自分だったら…」と自分なりの考えを持ってしまったかたに(笑)。
というのもやっぱり多分みんなきっと脳裏をよぎってしまうものじゃないかと思われますので
ついうっかり一瞬でも「書いてみてもいいかな」と思ってしまったかた、お願いします。
+「おいおい、次の指名は自分とこに来るんじゃねーだろうなぁ?」と思ったかた、正解です。書いてください(笑)。

by nao :: 23:03 :: diary

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2 comments


  • いやぁ 朝からうんうんうなずいてしまいました。
    naoさんの文(考え方っちうか)いつも「うんうん(首縦ふり)」なんだけど。はは

    同じところありましたよー。
    人は個々は違うんだけど皆似通ってる って私も常々思ってます。
    東海地震・・・静岡のヒトですね、naoさんも。
    小さい頃から言われてきてるもんねー。「地震が来たら〜」って。(笑)
    某SNSでは読んでないので(どこにいるのかしらん?)得した気分であります。

    台風明けの朝読むのにふさわしいエントリーでした。

    by azu — August 26, 2005 @ 7:45 am

  • うふふ、こんなあほみたく長い文章読んでくれてありがとうです!
    うちもね、azuさんとこ読んでてうんうんって共感することいっぱいあるのですよ。(コメントしようとしてもそうゆうときっていつも以上にうまいこと書けないのでROMですけど…すみません)
    あ!あたしは実はここにひっそりと生息しておりますです(笑)。

    by nao — August 27, 2005 @ 2:21 am


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