Apr 21st, 2006

book :: ばなな


あたしはかなりしつこい性質(そして貧乏)で買った本やCDをいつまでも何度も読んだり聴いたりするのです。
そんなわけで読んでいる割に持っている本の数はそれほど多くなかったり。でも一度読んだっきりの本ももちろんたくさんあったり。(CDも同様に)

土曜日に実家に帰ったとき、このところ恒例な“ひさしぶりに読み返してみてもいいなと思う本”を漁っていたら、吉本ばななの本が出てきた。
“出てきた”と言っても実家のあたしの部屋には妙にでかいスライド書棚があるので、持っている本は一目瞭然なのだけれど。でも不思議なことに今までまったく目に入らなかった。
デビューしたときの『キッチン』を友だちに借りて読んだ記憶はあった。でもそれ以外の本は読んだという記憶すらなかった。
それなのに4冊も。

ぱらぱらとその場で少し読んでみたけれど話がどう流れていくのかも予測がつかないほど、ほんとうに記憶がなかった。それでもあたしの本であることは間違いなくて、帰りにバッグに詰め込んでアパートに持って帰った。

まず読んだのは『N.P』。平成4年に単行本化されたもの。
まったく記憶になかったけれど、読み始めた最初の、描写のイメージの出来なさ加減にうっすらと記憶があった。
そしてそれが読み進めていくうちにようやく世界が形作られてきて、簡単な“たとえようもなく美しい”というような言葉がすんなりと理解出来るようになるのだ。

あたしは過去にもここでさんざんしつこく書いているけれど、夏が好きだ。
カラダは夏が向かない(夏にはよく死にそうなくらい頭痛がひどくなる)のに夏に恋がれてやまない。夏が来ると思うと付き合いたての大好きなひとに会いに行く直前みたいに胃がキューっとするくらいにドキドキする。
『N.P』にはそれと同じ夏が描かれていた。短く儚くて生き物の音だらけの季節なのに、しんとして永遠で終わらない夏。
肌がざわざわする夏。

夏が好きだ、とはっきり意識したのはいつのことだったろう?
夏はみんなが好きな季節だと思っていた。(冬が好きなのは清少納言くらいかと…。)
案外冬が好きなひともたくさんいるということを知ったのは割と最近。

それは置いておいて、
この、あたしの夏への感覚、これはたまたま彼女が著したのと同じ感覚だっただけなのか、それともこの本を読んで、気付かずに自分のものにしていたのか、それとも人間…というか夏に成長する生き物すべてに、潜在するものなのか、考えさせられてしまった。

ここ何年かまではあたしの中の夏は、友だちと日帰りで行った西伊豆の堤防に腰かけてまっすぐに太陽を仰ぎ見たときの、真っ白な光線と焼け付く暑さに象徴されていたけれど、おととしの夏の自転車に乗るあたしの腕をじりじりと焦がす強い熱と、ガソリンスタンドの壁に沿って倒れるように座り込んでいたおじいさんの荒い息遣いを今まっさきに思い浮かべる。
凶暴な夏だったから。
早く蝉の声を聞きたい。
今年の夏がまた凶暴で愛しいものになればいい。

by nao :: 00:03 :: dvd/cd/book...

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