Mar 17th, 2005

je suis fatigee

5時に仕事が終わってから病院に行った。ぎりぎりで間に合うはずだった。けれどもぎりぎりどころではなかった。
じっとソファに座り、台車のような音がすれば振り返り、エレベータが開くとまた振り返る、そんな時間を過ごした。父と兄はテレビの画面を眺めながらひとりでしゃべる叔母にときおり返事をし、わたしは何も聞こえていないかのように廊下を見ていた。
ようやく呼ばれ、先生の説明を受けたときには8時をまわっていた。4つのいすと小さな引き出しのついたテーブルのあるちいさな部屋に通され、先生はつやつやとしてピンクがかった肌色の、学生の頃理科室でみた標本のようなものをテーブルに置いた。それは母の一部だった。ちいさくて透明なものがそれにぷつんとくっついていた。
先生は若くて親切で確かにいい人だった。ゴム手袋でふやけた白い手にマーカーペンを握りホワイトボードで丁寧に説明をしてくれた。断言するように希望的な言葉をかけてくれたけれどショックを受けるにはじゅうぶんだった。「60%、まずこちら側で間違いないはずです。」
いづれにせよ少なくとも3年間、検査と服薬の日々が始まることになった。

by nao :: 00:51 :: diary

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