Aug 11th, 2006

夏の記憶 ver.10years ago

今年の静岡はあまり暑くない。
熱が足りない、
肌を焦がす凶暴な光が足りない。

だから、昔の夏を振り返ってみた。

そのうちのひとつ、とてもキツかった夏。

あたしは飲食店で働いていた。
“飲食業で食べてゆく”と決意して最初の店。

確か、仕事は朝10時くらいから夜12時くらいまで。
服飾や英会話の営業の仕事をしてきたあたしに「仕事はきちんと教育する」と言ってくれて、安心して入社した店だった。でも実際のところ黙ってて教えてくれるものなんて何もなかった。教育を約束した常務は滅多に姿を現すことはなかった。そして見渡す限り頼れる相手もいなかった。
調理場の男たちと、バーテンダー。
ホールの担当はあたしだけだった。

調理場の男たちはもう“それなりの”年齢で、調理経験も長い。
競輪、麻雀、パチンコ、女….彼らの話題についていけるほど当時のあたしは世間を知らなかったし、いろいろな面でへたくそだった。
仕事で困ったことがあるともうひとつの店の店長に相談した。

店で、まだお客さんがいない準備の時間、まかないの時間、閉店後の時間、あたしは居場所を見つけられないでいた。

そんな中で1週間に1度、入り口のマットを交換しに来るひとがいた。
もう名前も忘れてしまったけれど、小太りで、陽気で、声の大きいその人はいつもにこにこしていて、店内を掃き掃除しているあたしにも声をかけてくれたのだった。
「よう!店長、がんばってる?」
店長なんかじゃないですよと答えても、
「いいの、いいの。じゃあ!」
と笑って汚れたマットを抱えて店を出て行くのだった。

泣きそうで、でも涙を出す元気もないくらいにしょぼくれかえっていたときでも、その人のひと言で随分なぐさめられた。

夏のある日、会社の会議で経費節減のためにマットの交換を1週間に1度から2週間に1度に変更することが決まった。
あたしは少し残念な気持ちだった。
外の新鮮な空気と笑顔を運んでくれるあの兄さんが来る回数が減る。あたしと外部とを繋げる門が閉じられてゆく気分だった。

1週間、2週間、3週間、あたしは毎日床を掃いたり窓を拭いたりと開店準備をしていたけれど、その人は来なかった。
ある時、他のひとがマットの交換に来るのが見えた。
しばらく経って、なにげなく調理場のひとにマットの交換の担当が替わったのかと聞いてみた。

「ああ、あいつ?死んだよ。」

「川でさ、バーベキューしててさ、あいつ落ちて溺れたんだって。」

残暑のじっとりと汗ばむ空気が熱を失った。

小学生の頃、やはり水難であたしより2こ下の男の子が亡くなった。それは初夏の海での出来事だったけれど、校内放送で知らされたその子の不幸が、その子のいた教室の風景とともに突然蘇った。
あまりにも唐突で、でもそんなにぎやかな場所での出来事があまりにもその人らしく感じられて、頭では理解出来なかったそのコトバが、体の、そう、毛穴あたりではすぅっと滲み込んでゆく気がした。
男性としてではなかったけれど、さして深い話をしたわけではなかったけれど、ひととして好きだったひとがひとり、この世から姿を消した年だった。

今でもこの年のことを思い出すと、あたしの知っている“川”の、まぶしい光が川原にも水面にも満ちている様子がまっさきに浮かんでくる。あたしがその年に見た風景ではないはずなのに。

by nao :: 01:41 :: feel/think/find...

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