May 26th, 2007

ashes and snow

今回東京に行った目的はグレゴリー・コルベールのashes and snowを観るため。
森美術館でやってたのに行きそびれたので本展こそは観に行きたいと前々から思っていたのでした。
とは言え、正直コルベールがどんなアーティストか、なんてあんまり分かっていなかったのですが(笑)。開催前からこのサイト観ててなんかすごそうだなぁってところで気になっていたの。だってこのためにハコ(ノマディック美術館)から作ってるんだもん。

«以下、観に行ってすごい感動したひとと、これから行くのをすごい楽しみにしているひとには楽しくない内容を含みますのでどうぞ読まないでください…。»

でもって、そのハコはコンテナを組み合わせて作られていました。コンテナ好きとしては(マニアじゃなくてただ見るのが好き)それだけで充分だったり。写真撮ったんだけど、まだ現像してない…。ちょうどこのコンテナで作られた美術館の向こうにお花畑と大観覧車。なかなかステキでした。

中に入ると木の床の通路があってその両サイドは砂利が敷かれた空間でその両サイドの空間に大きく引き延ばされて和紙にプリントされた写真が並んでいました。
一方通行の空間に大きなサイズの写真が両サイド、写真を楽しみにしていたあたしにはかなり酷でした。離れて見ようと思うと反対側の写真を観ているひとの邪魔になるし、近づいても同様、長く立ち止まっていると邪魔にされるし、照明はセピア色だし。
中央部はフィルム上映。丸太のスツールがたくさんあったので腰掛けてゆっくり観ることが出来たんだけど、3ヶ所でそれぞれ違うのをやっていて、最初のショートフィルムと長編を観たらすっかり疲れて(英語で言うtiredがまさに…)最後のショートフィルムは途中で止めてしまいました。
長編のはどうも渡辺謙氏がナレーションしてるっぽいんだけど、彼の力強く囁く(通じるかなぁ?)しゃべり方が会場には合わないみたいで声が拡散しちゃって何言ってるんだかあまりよく聞き取れなかったです。
すっかりtiredなあたしはフィルムのセクションを抜けて、また写真が並んでたんだけどさらっと観て出て来てしまいました。

この展示、かなり評価されているみたいなんだけど、あたしには合わなかったみたい。フィルムの中で行われていることというよりもこの企画全体がインスタレーションで、“写真を展示する”こともインスタレーションの一環、そんな風に感じました。
ついでにさらに言うと、“人間と動物の間で自然発生的に行われた驚異的な交流の姿”という部分もインスタレーションかなぁと。多分あたしが歪んでるからそう見えるんだと思うけど、きっとそうなんでしょうけど、嘘っぽい。この撮影をするにあたって何人ものひとがうっかり象に踏まれて命を落としたとか、ヒョウ(?)にじゃれつかれてうっかり噛まれて怪我をしたとかあるなら納得出来る部分もあるけど、「よく調教されてるなぁ」という風にしか感じ取れなかったし、チンパンジーと女性との“交流”のフィルム、あれなんかはとても悪趣味にしか思えなかった。コドモの頃、飼ってたインコの嘴をなでてたら発情されてびっくりしたことがあるけど、それに近い。動物をだましてるように思えたのでした。あくまでも人間は人間という生物で、肉食動物にとっては食い物だし、その他の動物にとっては敵だと思う。お互いにうまくやっていける場合があっても、それとこの展示とが見せているのは別のものだと思うのよね。一体何を目指しているんだろう?と違和感を非常に感じたのでした。
つまりはドキュメンタリーではなく、あくまでも創りだされたものとしてしか感じられなかった。創りだされた幻想にしては自己陶酔が激しすぎると。
ごめんなさい、これはあくまでもあたしの感じた見方なので、とっても感動したひとにとっては「なんだ?お前?」って思われるだろうとは思うけど、リアルとフィクションのどっちを表現したいのか(というかどっちだと思って評価しているのか)、この辺でしっくり来なかったことを整理してみました。

あ、でも、象の写真は好きです。子供たちが出てくるのは割とすんなり見られたんだけど、オトナが出てくるとどうもだめみたい…。

6月19日からはブレッソンが始まる(どう転んだって満足出来ることは間違いないでしょう)ので“写真を堪能したい欲”はそれまでぐっと閉じ込めておくことにしますです。

by nao :: 02:49 :: art

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