Apr 11th, 2006

father

昨日(日曜日)、病院に行ってきた。
正直なところ逃げたいキモチが大きくて、それは昨年の母の術後の姿にショックを受けたトラウマなのだけれども、病室で寝ている姿を見たくなかった。冷静な自分を失いそうで。

行ってみると父は病室でテレビを見ながら横になっていた。
実家で最後に見た姿とあまり違いはなく、見舞いに来た娘に対してどういう姿勢でいたらいいのか少し戸惑っているようだった。
時おり感じるのだけれども、父とあたしは同種の人間で(偏屈で人見知りで頑固で本好きなのはこの人から受け継いだ)、彼もまた自分の状況をなるべく冷静に見ようとしていた。日頃、彼とあたしとの会話は一定レベルの知識を条件としているふしがあって、相手がどのくらい分かっているか判断したうえで余分なことは言わない。ここが母と父、あたしと母との会話の違いだ。(“母”の部分はたいていに於いて“兄”にも置き換えられる)

お互いにぽつりぽつりと今回の件について言葉を交わす。
まだ病名すらハッキリしていないのでこれまでの経過についての話が主だったが。

体調が悪かったことについてこうなるまで何も言わなかったことについてキレていた母に対しては
「亭主の顔を見てないからだ」と彼らしい言葉を放った。
この場に母がいたらこの後20分は父もあたしも発言の余地を与えられなかっただろう。いなくてよかった。
仕方がないのでこれはあたしの胸にしまっておくことにする。

彼は彼なりに反省していた。
やはり正月頃にはすでに身体がだるくて仕方がなかったらしい。「わけがわからなかった」そうだ。こういうのを聞くと娘としてはせつない。
「あの時点で病院に行っていればよかったんだけどな。」
反省していることをあたしに言うよりも母に言ってあげたほうがいいと思うのだが、多分そうすると「だから言ったでしょ」から始まるお説教が始まるのできっと言いたくないんだと思う。そして同感である。
これについては母に報告することにする。

病院は10年程前の記憶よりも遥かに明るく清潔そうだったのでほっとした。
そして今まで家電の子機のような使い方しかされて来なかった父のケータイに新たにCメール(いわゆるショートメッセージ)という任務が課せられた。
昨年母が入院したとき、ケータイのEメールやCメールが非常に彼女にとって心強い存在となったことをあたしは知っている。だが、スパルタでそれらを使えるように仕込んだ(あたしは電話に出ないのでメールを打たざるを得なかった)あたしへの感謝の言葉は…未だにない。

父と談話室の小さな本棚を物色したりぼそぼそと会話をした後、母宛のキッチンスポンジとbikiniのクッキーを置いて病院を後にした。

今日、そのbikiniのクッキーを父と母、ふたりで食べたそうだ。
ちいさなヘーゼルバトンが4こ入っていたもの。
土曜日に3つ買ったうちのひとつしか置いて行かなかったことが申し訳なく思われたが、もう既にあたしのオヤツになってしまっていたのだから仕方がない。
実は病院はbikiniから非常に近いところにあるので今後いくらでも差し入れる機会はある。それよりもbikiniが近いということはあたしのオヤツが充実してしまいそうで恐ろしい。

今日、父は骨髄の検査をしたそうだ。思ったよりも検査の結果は早くに出た。
そして正式に“再生不良性貧血”と認定された。
明日は仕事を午後から休んで母と兄と病院で病気についての話、また助成金が出るためその申請の仕方についての説明を受けに行くことになった。

出来たらその後にでも母とゆっくり食事をしたいのだけれども、きっと疲れたと言って断られそうな気がする。今のうちから少しずつ気分転換をしてくれたほうが安心なのだけれど。
どちらにしろ土曜日は1日、母に付き合うつもりだ。大阪には行かない。

by nao :: 00:54 :: family archive

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