Mar 21st, 2004

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今朝、うちのままりんからメールが来た。
「一昨日の朝、○○F子さん(ままりんの義妹)が、脳内出血で亡くなり、いまから葬式に向かってます。」

このメールにはとても複雑な気持ちが表れていた気がしたので夜になって彼女に電話した。そしてそれは正しかったし、葬式はあたしが思っていた以上に複雑なものだったみたいだった。
あたしにとっても複雑でなんとも言えない、受け容れることが難しい出来事。心の整理がつかない状態。

以降、スルーしてもらったほうがいいかもです。

うちの母は4人姉妹の2番目。本来は一番上にもうひとりいたのだけれども彼女は幼いころに亡くなったので実質4人姉妹。
一番上(Yおばさん)は同じ静岡でわりに裕福に暮らしている。
ひとつ下の妹は2人目のお母さん(あたしにとってはおばあさん)との間に産まれた腹違いの妹で、やさしいひと。苦労してきた人らしい。埼玉に住んでいて最後にお会いしたのはあたしが中学生の頃。
一番下の妹(F子)は3人目のお母さん(今のあたしにとってのおばあさん)の連れ子。この人が亡くなったひと。以前はずっと北九州に住んでいて7〜8年前に静岡の隣町に引っ越してきた。

母方のおじいちゃんはあたしが小学校2年生のときに亡くなった。大好きだったおじいちゃん。
そして残されたおばあちゃんは母の姉であるおばさんが援助し、母が時々面倒みたりしてひとりで暮らしてきた。子供の頃あたしはおじいちゃんのお葬式の時すら静岡に来ないF子おばさんに会いにおばあちゃんが北九州まで出かけるのが不思議でならなかった。

あたしが高校生になった頃、はじめておばあちゃんがあたしの血の繋がったおばあちゃんではないことを知り、そして兄の20歳の誕生日にF子おばさんが兄に宛てて送ってきた手紙の文章に憤った。そこには兄への祝福はそこそこに亡くなったおじいちゃんへの恨み言が書かれていたのだ。それも取るに足らないような小さな出来事を「こんなことをされた。」といった調子で書かれたもの。
このとき初めて母からF子おばさんがどのようなタイプの人間かを聞いた。

あたしの母は比較的客観的に物事を見られるひとだと思っている。だから彼女が継母のもと暮らしてきた話は概ね真実だろう。決して幸せに育ってきたわけではない。小学校教師でもあった継母の育て方はどちらかと言えば冷たい育て方だったようだ。そして育ちのいいおじいちゃんはそういうことに口出しをする人ではなかったろうというのは容易に想像がついた。
おじいちゃんは血で人を分ける人ではない。でも利発な子供、優しい子供を愛するというのはあっただろうと思う。

F子おばさんたち家族は7〜8年くらい前に静岡に引っ越してきた。病弱な娘の環境、そして娘がいじめに遭っていたことが原因だったらしい。そして一人暮らしをしていたおばあちゃんを引き取った。(うちにもYおばさんのうちにも挨拶には来なかったし、おばあちゃんの世話をしてきたことへの感謝もなかった。)
F子おばさんたちと暮らし始めたおばあちゃんはうちの母や今まで援助してきたYおばさんが会いに行っても会わせてもらえなくなった。Yおばさんが会いに行ったときは玄関で足止めをくらったそうだ。
もともと利発なYおばさんと頭の悪いF子おばさんとは相性が悪いのだろうとは思うけど・・・。
そしてしばらくしておばあちゃんは自らの希望で老人専用の病院に入ることになった。それまで彼女はF子おばさんの家で台所で寝かされていたそうで、一人暮らしのときに使っていたテレビもF子おばさんの部屋へ持っていかれ、財産は全てF子おばさんに管理されてしまい電話をすることもままならなくなってしまっていたのだった。病院に入ってようやく自分の居場所が出来ても電話をかけるお金も持っていなかったらしい。
ちなみにF子おばさんのダンナさんは50代のときに早期定年退職をして、そのまま夫婦して毎日家でテレビ見て過ごしている。娘は介護の仕事をしているとか(信じがたい事実)。
病院に入ってようやくF子おばさんの目をかいくぐって連絡がつくようになり、母は時々差し入れやいくらかのお金を渡してあげられるようになり、おばあちゃんはそれをベッドの下に隠しているそうだ。
血の繋がっていない母に対して実の子が側にいる現状では母は不憫に思っても何もしてあげることが出来ずやり切れない思いを感じていたし、それは孫であるあたしも同感だった。母としては頭の悪い娘ということを理解し、そのために甘やかして育てたおばあちゃん自身のツケがまわってきたのだから仕方がないとも言っていたが。
母はおばあちゃんに対して過去の思いはあるけれど、老いて後先短い人間に対する人の道として今さらそんなことを言っても自分がシアワセに暮らせなくなるからと言っていた。
あたしは以前、プロテスタントの教会に行ったとき(クリスチャンではないけれどいい子になれますようにのお祈り&懺悔に/笑)献金をF子おばさんがしていることを知り、あまりの偽善に憤った。献金をする以前に目の前にいる実母への思いやり、いや人に対する優しさを持つべきだろうと。
母もあたしもいつの日か彼女が心を改める日が来ることを願っていた。

そしてF子おばさんは死んだ。唐突に。病気で苦しむこともなく。

F子おばさんの葬式は教会で行われたそうだ。
母も知らなかったのだけれどもF子おばさんはおそらくクリスチャンであるおばあちゃんに勧められ北九州に行く前に(おそらくはあたしが産まれるよりも前に)洗礼を受けていたのだった。
プロテスタントの葬式はシンプルで美しい。故人の好きだった賛美歌を歌い、故人の好きだった聖句を唱える。

そしてF子おばさんが選んでいた聖句は、復讐にまつわる一節だったそうだ。

誰が裁かれ、誰が罰を受けるのか、神様の裁きはあたしたちの知らないところで行われている。母と話したあたしはこう母をそして自分自身を慰めるしかなかった。

by nao :: 00:49 :: diary

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