Nov 16th, 2006

飛べなくなった人

4763006290 石田徹也遺作集
石田 徹也
求龍堂 2006-05

by G-Tools

秋です、ゲイジュツの秋。
…というわけでもないのですが、先週末バイトしてたので代休代わりに本日有給を取っていたあたしはふらふらと絵画展にお出かけしてきました。

前々から行きたかった絵画展(この後にエントリ予定)をblocに登録したときに見つけたの。
飛べなくなった人 異才・石田徹也 青春の自画像&マイコレクション展

正直全然知らなかったんですが、少し興味を惹かれて調べてみたときにこの(↑)作品を見て「行きたい!」と思ったのでした。
焼津市出身、昨年亡くなられたそうです。
“新・日曜美術館”で取り上げられその名と才能が知られるようになったとのこと。

駿府博物館はよく前を通るんだけど今まで一度も入ったことなかったのでした。
ちいさな博物館で、入ってみるとL字型に区切られたスペースにその絵は展示されていました。42点、そう多くはない点数でしたがその一枚一枚のサイズ、緻密さ、練られた図、そしてたった10年という製作年数を考えれば充分なものだと思いました。
じっくりじっくり見て、気付いたら後から入ってきたひとたちもとっくに姿を消していたんだけど、もう一巡しようかな?と思ったくらい、“何か”があったのでした。

石田徹也氏は1973年生まれということでうちの2歳下、同世代なのよね。
多分この年代、同世代に通じる感覚な気がするの。ガッコウ、カイシャ、シャカイ、ヒトビト…
なるべく普段あまり立ち止まって見つめようとしないでいるもの、時々考えるけど途中で蓋を閉じるもの、をこのひとはずっと見てたんだろうなぁと思った。

入り口のところに書かれた(遺作集にも書かれてた)彼の言葉の中に“僕の絵にはいつも同じ男の人が出てくる。その人は自分に似てるけれど違う人だ。”と、確かそんなことが書かれてたんだけど、その男の人はいつも透き通りすぎるくらいに透き通った目を遠くに投げかけている。その視線がとても心に残ったのでした。
なんてゆうかなぁー、ずっとこの視線とか絵に漂うものにしっくり来る言葉を捜してたんだけど、“悲しみ”とか“苦しみ”とかそうゆうんじゃなくって…うーん、今見つけた一番近いのは“呑み込まれている”かなぁ。
この辺の感覚、親世代のひとたちあたりはどう感じたんだろう?とくに『説教』あたり。

実際の絵はかなり大判で(日頃写真展ばかり行っているので余計にそう思うのかも知れないけれど)、ネット上で見るのとはだいぶ受ける印象が違う気がしました。
なんでわざわざこんな大きなサイズで書いているんだろう?と。きっとこのくらいのサイズでなければ彼の中の思いを込めるのに収まりきらないんだろう、そう感じました。

それと間近に寄って確認しちゃうくらいに非常に写実的な絵(駿府博物館では『無題』となっていた『漂う人』の紐とか思いっきり近付いて確認してしまった。ちなみにリンク先で見られる絵のほとんどが展示されてたけど、違うものに見える…)の中に遠近感や大きさが異なるものが混じっていてそれがまた絵に印象的な感情を生んでるのね。『燃料補給のような食事』の店員とか、『ベルトコンベア上の人』とか。

やっぱり入り口に書かれてたことで“僕の絵を見て笑う人、泣く人、怒る人、いろんな人がいたほうがいい。それが僕の絵だ。”というようなこと(ああー、やっぱりうろ覚えすぎる….。ほんとはもっときちんと意味が分かるような言葉でした。)が書かれてたの。ああ、それって写真も同じだなぁと思ったりとか、他にも“2年くらい前から(確か2001年に取材を受けたときの言葉)絵に意味を持たせないでイメージで絵を描くようにしています。そのほうが見たひとによって意味を見つけられるから”というような(ああ、ほんとにもう….今度ちゃんと確認しに行ってきます。)言葉があって、絵を見ている途中、そんな言葉を拠り所に鑑賞していたのでした。
でなきゃ一枚見るにも時間がかかりすぎる。
この展示は12/24までやっているのでもう一度くらい行ってこようかな。

ああ、今回、この追悼展がなければ知らなかった人なのだけれども同世代としては一緒に歳取りたかったなぁ。そして50歳、60歳になったときの彼の絵を見たかったです。
本当に心から残念です。

by nao :: 00:29 :: art

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2 comments


  • このひとムサ美出身の人なんだよね。
    死ぬには早すぎるよなぁ。

    by eith — November 17, 2006 @ 12:50 am

  • ご存知でしたか。さすが。
    うん、早すぎるよねぇ…。

    by nao i — November 17, 2006 @ 1:13 am


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