Jan 8th, 2007

dvd :: 殺人カメラ

B0001VQVVK 殺人カメラ (トールケース)
ロベルト・ロッセリーニ ジェンナロ・ピサノ ウィリアム・タッブス
アイ・ヴィー・シー 2004-05-25

by G-Tools

殺人カメラ (1948年 イタリア ロベルト・ロッセリーニ監督/原題:La Macchina Ammazzacattivi)
もっとブラックでシュールな話を期待していたら案外そうでもなかった。そうゆうところに時代と監督自身の品のよさを感じたわけですが、期待とずれた部分も含め、また時々観たいなぁという感じ。

見事にすっかりネタバレになっちゃうので要注意なページだけどここに書かれてるように監督の撮影順に観ていったらまた違ったんだろうな。
というわけでロッセリーニ監督作品を攻めていきたいと思います。
ぜんぜん時代背景とか監督の他の作品とか理解せずに観ちゃったもんで。もちろんそれでもじゅうぶん楽しめる映画だと思ったんだけど、知ってたらまた違う見え方で観られそう。

ちょうどこのあいだ某氏のエントリにあったのとかぶる感じで、善とか悪とかそれを判断したり裁いたりすることについてちょいと考えてしまったのでした。
前々から考えても考えても結局うまいこと表現できずにいることなんだけど、“悪”とされるひと、出来事に対し、サイドストーリーを知ってしまうのとその対象のみを見ているのとではまったく異なる感情、判断が生まれるわけで、完全なる悪なんて存在しないんじゃないかと思えるわけだ。
ついでに話が長くなるけど、学生の頃よく考えてたのが、生まれる以前からの環境、生まれてからの全ての出来事(気温や視界に入ったもの、聞こえた音、事細かな環境全て)のデータを検証すればそのひとがその次の瞬間に何をするのかが分かるんじゃないか?ということ。ええ、そうーとうーに莫大なデータ量になる筈だから実際にはそんなこと無理だけど。人生って1秒1秒が取捨選択の連続なんだけど、その選択はどんなに悩もうが結局は過去のデータがそれを選ばせているんじゃないかな?とか思ったわけ。
考えたとこでどうなる考えでもないんだけどあたしは日々そんなことを考えて35歳になったのだ。このほかにも“あたし”は世の中にひとりしかいなくて、“みんな”が“あたし”なのであるとかさ。

ま、それはさておき、そんなところを大きくひっくるめたお話がこの映画なような気がするのですがいかがでしょう?
(映画自体は軽めの風刺コメディといったところで、さらりとしてます)

by nao :: 02:12 :: dvd/cd/book...

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