Oct 21st, 2005

Go Northeast 10/9 Main = Mine

ええと、うちが写真を好きになりだしていろんなサイトで写真を見てまわるようになって、その中で知ったnanablogというtadaさんがやっていた写真サイトがありまして(どうやら閉じてしまったみたいなんですが…)、そこであたしは廃墟のうつくしさを知ったんです。
そして去年の夏、お友だちに古い素敵な廃工場(明治とかそのくらいの)があるのよ。なんて誘われて撮りにでかけたのでした。その工場は木造のほんとに古いところで女工さんとかそうゆう時代のものに感じられました。夏の強い、強い日差しの中でその建物たちは静かに眠っていました。あまりにその眠りが静かで深くゆったりとしていたのであたしたちは彼らを起こさないようにそっと辺りを撮ってまわりました。そこを歩き回った時間はある種夢のようにしあわせな時間でした。
それを回想するにつけ、もっと中に入り込んでその時間を撮りたいと思うようになりました。

とはいえ廃墟の多くは町から離れた場所にひっそりと存在していて車のないあたしに気軽に行ける場所ではなく、それにさすがに女子(一応はね)ひとりでふらりと入っていくのは心許ない。
そうこうしているうちに廃墟たちは安全上の問題や土地利用などによって取り壊されていく…さみしいなぁーとひとの撮った廃墟の写真をうらやましげに眺めていたところ、今回の旅に誘っていただいたのでした。
目的はひとつ。松尾鉱山跡。

松尾鉱山はかつて東洋一とうたわれた硫黄鉱山で、その傍らに11棟の社宅アパートが。70年代初頭に廃坑となりそれらのアパートも引き払われ、今もなお美しい八幡平につながる山の中腹に朽ちつつ立ち続けているのです。

岩手のちょうど少しづつ色づき始めてきた木々を眺めつつ山道を登っていったあたしたちにそれは唐突に姿を現しました。この旅が決まってから何度となくあちこちのサイトでここの写真は見てきたのだけれども実際に見たその姿はほんとうに…圧倒されました。その存在感、ある種の美しさ。そしてついにここまでたどり着いてしまったという感慨も。いや、まじ、“ほんとうにあったよ!!”って思ってしまいました。いやほんとに。非現実感の塊ですもん。往時“雲上の楽園”と称されたまさにそれですよっ。
そんなわけで車を降り立ってまずは反対方向の草なんか写真撮ってみたりとかして(ココロの準備が…/笑)。

とりあえず車道から思う存分写真を撮ったところでenter。
…と言っても入り口にたどり着くまでにまたしても立ち止まり立ち止まり撮りまくり…なかなか先には進みません。
ようやく入り口にたどり着いて中を覗いた瞬間…もう夢みたいでございましたー。
確かに小僧っこたちがサバゲーしたらしきBB弾が床に無数に落ちてはいるものの、厳しい冬の積雪に崩れ落ちた壁や波打った床。無機質なコンクリート、石たちと外から内に入り込む植物たち。その調和がなんともうつくしくて。
なんつってぽぉーっとなってたわけですが、いかんせん広いのですよ、ここ。ひと部屋ひと部屋ぜんぶきっちり確認してたら日が暮れても終わらないので適度にあきらめつつ進んだわけですが、人間、刺激が長時間続くとだんだんと麻痺してくるというか…わけわからなくなってきたり(笑)。
そして今思うのは、ああ、またあの空間に浸りたい&失敗した写真の部分をもいちど撮り直したい…(どうやら有頂天だったらしくまっくろくろすけ量産しました…/泣)。

ところで写真撮りの話は置いておいて、ここ、かなり草深い場所でもありました。そして雪と経年で床とか弱くなっている部分も多々。そんなわけで33歳女子、自分でも意外なくらいに楽しく飛び降りたり飛び降りたり草を掻き分け進んだりできちゃいましたよ。もちろん草を押さえて道を作ってくれたり手を貸してくれたみんなのおかげでありますけれど。感謝。 :)
いや、でも楽しかったー(笑)。ちゃりんこ通勤生活で体力養成できてたのかなぁ?

そして最初の話に戻ると、ここはうちが去年行った廃工場とは違い、知られてるということも手伝い訪れるひとたちも多くいる場所でした。その姿を晒しながら少しずつ朽ちてゆく場所とでもいえますかね?
おかげでうちでも内のほうまで入り込ませてもらえてその空気を感じることが出来たのでした。ところどころには当時のものが残り、その生活を垣間見せてくれ、また自然の中に朽ちてゆく姿は当時のひとたちが(いくら暖房完備と謳われていたにしろ)厳しい自然の中、家族や他の社員たちと生活を営んでいた決意のようなものを感じさせてくれました。

70年代初頭といえば我が家ではあたしが産まれて間もないころ。そして若かったうちの両親が親の援助を受けつつもようやく自分たちの家を持ったばかりのころ。その頃のうちの実家の写真を見るとふんわりとしたあたたかい空気が流れているのです。芝生はみっちりと茂り青々としていて、その横の花壇にはいろんな色のチューリップが何本も。そしてまだ若い柳の新緑。(庭作りのセンスというものは不問で…/笑)
そんな同時期にこちらでは廃坑を目前に今までの生活の地を去るひとたちがいたのだなぁと思うとなんとも不思議な気分で。なんて言ったらいいのか分からないけれどそのひとたちの生活に静かな温かみを感じるのです。うーん、うまく言えない。
きっとこの場所にもうちと同い年の女の子はいたんだろうね。そして今もどこかで暮らしてる。
そんな彼女が産まれた場所を廃墟としてあたしは散策してる。
やっぱり不思議な気持ちがしてしまう。
どうか彼女が今しあわせで暮らしてますように。そんなわけのわからないことを考えつつ松尾を後にしたのでした。
ああ、もうとりあえずあたしはしあわせだー。ふわふわ。

by nao :: 23:11 :: go somewhere

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4 comments


  • こんな本があります。「北海道産業遺跡の旅ー栄華の残景(ISBN4-89363-802-5)」。amazonで残り一冊でした(^^)
    鉱山とか、離農した廃墟とか、交通とか通信の産業遺跡をたどった本で、僕のとても大好きな本なんですが、naoさんもこんなの好きですかね?
    だいぶ壊されてなくなってしまった物も多いと思うんですが、北海道にもずいぶんこの手の産業遺跡があります。特に炭鉱なんか多かったし、鉄道はずいぶん廃線になっているので。
    最近はそういうところを回るツアーなんかもあるみたいですよ。
    砂川というところには閉山した炭鉱の立鉱を使った無重力実験センターなんてのもあったりして、ちょっと不思議な感じです。無重力のタイミングが取れるほど深いところを掘っていたんですね。
    観光地化しちゃった夕張も、人が来なくて閑散としています。ここの石炭の博物館もなかなか面白いんですよ。ライト付のヘルメットかぶってヤマ(の模型)にもぐったりして。
    鉄道跡(というか駅の跡)なんかは小ぎれいな公園になっちゃったりしているところも多いですが、それはそれで味があります。
    昔たくさんの人が住んでいたのに、今は誰もいなくなってしまった場所って、なんだかグッとくるものがあって、すごく好きです。だけど写真を撮るのは苦手なんですよね。カメラ構えるいくつかの動作をしているうちにせっかく沸いてきた感情が消えてしまうような気がして。
    だからホントはそういうところをじっくり歩くのも好きなんだけど、大抵はさあっと走り抜けちゃう事が多いんです。クルマ走らせるのが好きなもんで(^^;
    写真整理するのが面倒で、最近更新していないのがちょっと難点なんですけど。僕の遊びに行ったところのほんの一部の写真が
    http://www.nyaos.net/idpage/
    にあります。お暇なときにでもごらんください。
    開くときには音が出るのでボリュームに注意してください。

    by んちば — October 22, 2005 @ 11:26 am

  • おお、興味ありありですー。
    …というわけでさっそくぽちっとさせていただきました。届くのが楽しみー。って読んだら余計に北海道行きたくなっちゃうんだろうなぁー。お金貯めなきゃ。
    北海道はじつはうちの母方の家系に少し由来があるのです。北海道育ちのひとはいないんですけれど開拓に絡んでのことなので余計に実は興味あるのです。詳しいことはよく知らないでいたのだけれどその本でヒントがあったらいいなぁーなんて。

    写真見ましたよぅ。厚岸厚岸!目の毒でした(笑)。
    北海道行くなら牡蠣シーズンにしますっ。
    トンネル、トンネル、またトンネルなのとか、んちばさんの短いコメントがすごくかわゆくって楽しませていただきました。 :)

    そう、写真を撮る行為ってうちもわりとそうゆう考えだったのです。昔は。
    でもうちは記憶力あんまりよろしくなくって、ところどころ抜け落ちていってしまうのですね。それが最近、写真を撮ることでその気持ちをフィルムに写して閉じ込めればいつでもそれを解凍して思い出すことが出来るような気がしてきたのです。…時と場合によりますけれど。
    今日、ロベール・ドアノーの写真展を見てきたのですけれど写真を見るとドアノーのあたたかい視線を体験しているようで、とてもしあわせを感じました。そんなふうに写真を見るひとにも追体験させてしまうような写真が撮れたらいいなぁーなんて思いましたです。

    by nao i — October 23, 2005 @ 10:19 pm

  • 厚岸の牡蠣は、わりと年中食べられるみたいですよ(^^)。

    撮るのは億劫な僕も、写真を眺めるのは好きなんですよ。写真を撮った人の感情というか、感覚みたいなものが自分のなかに湧き上がってきたら、それはやっぱりすばらしい写真なんだろうなあなんて思います。
    これは絵画とか音楽とかでも同じことが言えるんでしょうけどね。
    僕はきっともっと素直な気持ちでシャッターを押せるようにならなきゃいけないみたいです。

    naoさんの写真、好きですよ。実は写真のサイトをかなり頻繁に見てます。
    その目に北海道がどう映るんだろうっていう興味が北海道においでおいでと言う僕の下心です(^^)

    by んちば — October 24, 2005 @ 12:20 am

  • そうそう、すみません!んちばさんとこでうちの拙い写真誉めていただいてて。コメント入れようと思いつつばたばたと。ほんと、ありがとうございます!
    ふふ、北海道、どんな写真が撮れるんだろう?ってあたしも気になります(笑)。

    厚岸ってそうなんですか!
    わぉ、ステキ過ぎます♪

    そうそう、写真ね、うち思うんですけど手にフィットする、そして被写体を狙える(もしくは寄れる)カメラになったらきっともっと「撮りたい!」って感じになるんじゃないかなーって。(んちばさんのお使いのカメラが実際はどうゆうのかは分からないので見当違いだったらごめんなさいです)

    by nao i — October 24, 2005 @ 1:53 am


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