Jan 5th, 2011

peru-12 Cañete

ええと、punoの後はlimaに1泊したんですが、limaは帰国直前に3泊しているので後回しにしてだんなさんの故郷cañeteネタを先に。
cañeteはlima県南部の海沿いの郡(あー、郡なんだ…今まで翻訳全部「市」にしてた…)。だんなさんの実家はその中の県庁所在地みたいな…なんていうんだ?capital…まぁそんな位置づけな町、san vicente de cañeteにありますです。

ひとことでlima県南部と言いましたが、東京23区的な”lima市”からは144km、バスですっ飛ばして2時間弱(笑)。どっちかというと東京都内というより静岡市的な匂いがします。うちの知る限り、住民のぼんやり具合も似てる。

そしてcañeteのキャッチフレーズは「黒人の街」ですが、san vicente de cañeteは黒人あんまりいなかったです。黒人が多いのは隣の町らしい。
そしてsan vicente de cañeteの農村部は日系が多いそう。(滞在中に日系らしい人はみかけなかったけど、同じ町出身な義姉がバリバリ日系…というか沖縄家系なひとなのであっさり納得)

さて、cañete。というか日本風に言えば夫の実家初訪問。
なんてわりには、cuzco、puno観光後の日程は何も決めてなかったので、cañeteに行く日にちも決めてませんでした。行くのを決めたのはその日の昼。超いきなり(笑)。

それは、limaのおいしいcafeでまったりしていた時のこと。
この後の予定をどうするか?で、なんとなくあと1泊limaに残りたいというだんなと、とりあえず腹の調子もよくないので田舎に落ち着きたい嫁との話し合い。

limaに残りたいというだんなさんの気持ちの半分は、実家に帰ると知り合い対応がめんどくさいかららしい。そして残りの半分は…
peru到着後に、mamaと何度か電話をしていたんだけど、なぜかmamaがcañeteに帰ってきたらrestauranteに泊まったらいいじゃないのって言い始めたらしく、問い詰めたら、家族みんな揃って最近はrestauranteに住み込んでたことが判明した、と(笑)。
もともとお店が忙しくてなかなかおうちに帰れないでいた(振り返ってみたらそれはいつの時点の話だろう?という疑問も…)ところ、おうちの浴室の電気系統に何かトラブルが起きてしまい、水道を止めることになったのだそうで。直してもどうせおうちに帰る時がなかなかないからと放置してたそうな…。おい…。適当すぎる…。

でも、だんなさんがホテルやってる友だちがいるって言ったので、じゃーホテルに泊まったらええがなということでその日の夕方、cañeteに帰省することにしたのでした。
で、limaから長距離バスでcañeteへ到着。
とりあえずそのままmamaのrestauranteへ。
そしてお店の中をひと通り見せてもらったりなんかした後で、mamaからご飯何食べたい?の質問。ふふふー。
お腹壊していてあんまり食べられないからスープがいいなー、スープならsopa a la minutaが食べたいなーと、かなりずうずうしくおねだり(笑)。
最初は鶏のスープを勧められましたが(cuzcoとpunoで鶏肉はもう当分いらない気分でした…)、心よく作ってくれたmamaありがとうー。
sopa a la minutaは昔一度だけだんなさんが作ってくれて「なんておいしいんだ!」と思ったものの、どういうわけかなかなか作ってくれない(でもこのメニューの名前は「すぐできるスープ」の意味なのでめんどくさくはないはずなんだけど…)ので脳内でどんどんと「とてもおいしいスープ」に進化していったんだけど、mamaが作ってくれたスープは記憶よりももうちょっとおいしいスープでした。ああ、ほっこり。
ご飯食べ終わって、しばらくのんびりしてたら妹cecilia帰宅。
ceciliaがご飯食べようとしたところで世界がいきなり真っ暗に。
なんと停電でした。
ああ、ここはまだ電力供給が発達してないのか…と思ったら、停電なんて非常に珍しいことだったそうです。失礼しました…。
ちょうどその日の昼、だんなさんはプリペイド携帯を買ってきたところ。某アジア国メーカー以外で一番安い機種ということでnokiaのちょー軽いストレート携帯なんだけど、これが何故か意味不明にライト付きなのですよ。携帯のカメラのライトをライト用に利用とかってレベルじゃなくて、携帯の上辺半分くらいがライトになってたのだ。お昼ご飯食べたレストランでは開封の儀やったらピカーとか光っちゃってあせらされましたが、まるでこの停電を予知していたかのような活躍ぶりでした(笑)。
そうこうしているうちにmamaがろうそく持ってきて、なんとなくいい雰囲気。

ceciliaがご飯食べ終わったところで、タクシーに乗ってceciliaの案内でホテルへ。(あれ、だんなさん、あなた友だちがホテルやってるって言ってなかった?/心の声)
道中、いろんな窓からろうそくの光がほんのり見えてなかなかロマンチックでした。

さて、そのホテルは…もうね、大変でした。
ちなみに、ホテルの名前はel dorado(笑)。
エルドラド(黄金郷)…、日本だったらラブホでしかあり得ない名前ですが、ペルーなので間違いではないけど、でもあのホテルは間違いw
まー、とにかくそんなホテルで一晩過ごし、翌朝全荷物もってrestauranteへ帰還。

えーと、この日の朝ごはんって何食べたかなーと思ったら、どうやら茹で野菜を食べてた様子。思いだしてきた。お腹の調子がよろしくなかったので茹でた野菜を…つってお願いして食べたんだった。
どっちかというとイメージ的にはブロッコリとかアスパラとかそうゆうのを想像してたんだけど、じゃがいもはうれしいけど、豆…。ハードだ(笑)。
じゃがいもはpapa amarilloという黄色い果肉の品種。ペルーではポピュラーな品種なんだけど、ほっくりしてておいしいです。(日本でも最近黄色い果肉の増えたけど、あれなんでみんな甘くしちゃうんだろう…、せっかくじゃがいもの味は濃くておいしいのに甘さがじゃまなんだよねぇ。)

ご飯食べたところで、懇意のタクシー呼んでpapa、mamaと一緒に数時間ほどの小旅行。
これはまた後ほど


帰ってきたところでお昼ご飯食べて、おやつ食べて、だらだらしてたところへpapa方のおばあちゃん登場。
もう会えないかと思ってた孫(だんな)を見て大泣きでした。
だんなさんは、会わなかった6年間(その間おばあちゃんは手術とかいろいろあったらしい)でおばあちゃんが小さくなって老けてしまったのがショックだったらしい。前を知らないので、あたしには小さくてかわいいおばあちゃんとしか映りませんでしたが、多分前は彼にとって祖母(abuela)だけどおばあちゃん(anciana)じゃーなかったんだろうな。

おばあちゃんが帰ってまた再びぐだぐだ。
彼の実家見学もまだしてないし、町自体ほとんど見てないし、ぐだぐだTVばっかり見ててばかみたいー!と、あてくし爆発。
(彼にとっては久々の帰省だとしても、うちの帰国後1ヵ月居残りする彼より短い日程で仕事のために帰るあたしを優先させるべきだという理論はおかしくないよね?ね?ね?だいたい、実家を見たいってゆうリクエストもmamaに伝えてなかっただんなにがっかりで…。)
爆風に巻かれただんなさんとmamaと3人で実家を見に行ってきました。
おうちは2階建ての2階、1階はmama両親と叔母さん一家のおうち。ポーチのよこの外階段を上って2階玄関を開けると心地よさそうにしつらえられたソファセット。少し奥にはいるとダイニング。その奥からキッチンやバス、家族個々のお部屋が続いてました。
ソファセット~ダイニングのあちこちに家族の写真が飾られてたんだけど、その中にうちら夫婦の写真も貼られていてしあわせな気分になりました。
奥に入る一角にキリスト像。
クリスチャンだけどカソリックはなんか違うーと主張する彼の実家はきちんとカソリックでした。キリスト像周辺の写真や飾りが南米テイストでなんとも素敵。写真撮りたかったけど、人の信仰の対象を気軽にスナップするのは気が引けたので断念。(個人的にはカソリックはキリスト教宗派というより、美術を育てた母体&それ自体アートという見方です…。ごめんなさい)
一番どん詰まりの部屋がだんなとお兄さんの部屋。お兄さんが10年、だんなさんは6年不在だったのですっかり殺風景。外階段側のガラスが抜けててベニヤになってましたが、だんなが昔割ったらしい…。小さい頃はきかん坊偏食癇癪持ちだったぽいからなー。というか何年放置してあるんだろう…(笑)。
ひととおり部屋を案内してもらってから、1階訪問。
チャイム鳴らして、うちら夫婦はそしらぬ顔でポーチのベンチに腰掛けてたんだけど、おじいちゃん出て来ていきなり孫がいたので、いたずら好きなmamaの予想を超えてびっくりしすぎてしまい、心臓の危機に…。
落ち着いたところであいさつ。
叔母さん一家にもあいさつ。
2年くらい前にmamaが作成した、だんなとお兄ちゃん宛「タマーレの作り方DVD」で寸胴鍋かき混ぜるーって飛び込み参加してたちびっ子がいました。ちょっと大きくなってた。
おじいちゃん、おばあちゃんとは話も尽きないので、翌日改めてmamaのレストランでお昼ご飯を一緒に食べましょうということになって解散。

そして今度はpapamamaの紹介で別のホテルに行ったんだけど、さらに悪化…。
ちなみに名前は…las vegas!!(爆)
朝、半狂乱で荷物持ってmamaのrestaurantへ帰りました。

どうやらcañeteにはまともなホテルが無いということで、limaに戻ることに。mamapapaには申し訳なかったけど…。
restaurantでネットでlimaのホテル検索して、電話で予約。これでばっちり。

気分を入れ替えて朝ごはん。
パンとqueso fritoとcafe con lecheとtamale。
tamaleはmamaお手製。

昨日は調子よくなっていたお腹が再び調子悪くなってたわりには食べすぎ…。ホテルのせいなのでmamaに言い出しにくかったんだよねぇ。

その後はもうひとつのcañeteでのお目当て、quesito売ってるお店「bodega sueng」へ。
あ、このお店いまさら気付いたけど華僑系かなー?(そいえばこの町は華僑も多いそうで…)

quesitoは黒糖に何か混ぜて作ったしっとりした砂糖菓子で、cañeteだけのお菓子って聞いてたので名物なんやと思ってましたが、どうも、売ってるお店自体がこのお店だけかもしれない疑惑が…。
まー、どちらにしろおいしいのでいいや。完璧なるでぶの素ですが。
お買いものから帰ってきたら、ちょうどpapaがエプロンして、オーブングリルに油をなじませてるところでした。
mamaもおじいちゃんおばあちゃんとのお昼ご飯の準備に大忙し。

そんなところへ、職場の友だちにもらったけど作れる環境がなくてそのまま持ち帰ることになりそうな勢いの電子レンジで作れるキンピラ(この浮かれきんぴら)をついでに作ってくれるようにお願いする迷惑な嫁。(ひとんちの厨房で言葉も分からずうろうろするよりマシだと思ったんだけど…。水で戻して、添付のタレ混ぜてレンチンだけだし。)

そして会食スタート。
左の写真の右端にある茶色いものがレンチンきんぴら。意外にもおじいちゃんおばあちゃん&papamamaに好評でした。しょう油は華僑がもたらしてペルー料理に取り込まれてるので馴染みがあるからねー。mama曰く、甘い味付けはペルー人みんな大好きだとのこと。なるほど。
真ん中の写真は、arroz arabe(アラビア風ご飯)という炊き込みご飯。
パスタやナッツなどが入っていてなんとも香ばしくて大好きなメニュー。というわけでarroz arabe中心で食事を進める嫁。対しておじいちゃんおばあちゃんがスゴイ。
やっぱり味噌米野菜で育った日本人のおじいちゃんおばあちゃんとは違うねー。おじいちゃんもおばあちゃんもお肉何枚もおかわりしてました。変なところで日本に馴染みすぎたうちのペルー人もびっくりするレベルでしたが、かわいい孫が6年ぶりに帰ってきたので元気が出ちゃったのかも。まぁ元気なのは何より :)

mama方のおじいちゃんとおばあちゃんは春(大雨での災害前)にmachupicchuに旅行に行ってたそうなんだけど、早くに飛行機予約したのですごく安く行けたんだそうな。そして元海軍だったり元警察官だったりしてそのどちらかの特典で提携ホテルが超安く泊まれたそうな。え?車?クスコは手を挙げれば車は止まってくれるよ。(にっこり)
…おじいちゃんかっこよすぎ。
次回は行く前に心臓強くする薬飲んだらいいよ、とかいとこたちは汽車で行ったよとかそんな話を聞けば聞くほどうちのだんなちゃんの情弱ぷりがwww
しかも、この日restauranteまではおばあちゃんと一緒にモトタクシーで登場。
かっこよすぎ。(モトタクシーは無謀運転が多いから危ないとだんなさんは怒ってました。そんなわけでうちも乗る機会なくペルーを後にしたのでした。実はちょっと心残り… :p)

言葉は分からないながらも楽しく時間は過ぎ、夕方に近くなってきたのでそろそろlimaに出発するねということで、papamamaおじいちゃんおばあちゃんたちに挨拶して、cañeteを後にしたのでした。
おじいちゃんのboleroを見る機会がなかったのが残念。

by nao :: 20:03 :: traveling_peru

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